2017年4月12日水曜日

広原神社

広原神社 (旧村社)






祭神:大国主命 おおくにぬしのみこと
  :少彦名命 すくなひこなのみこと
  :手力男命 たじからおのみこと
  :倉稲魂命 うかのみたまのみこと

鎮座地:宮崎県宮崎市大字広原五八三二番地

例祭日:十一月三日(本来は十一月十五日

社殿:本殿(流造) 一.五坪
  :拝殿(入母屋造)十二坪

境内坪数:六四〇.三八坪

創立年月日:不詳

由緒沿革:
 創建年代は明らかでないが、別当寺である極楽寺(現在は廃寺)の創建が鎌倉時代と考えられるので、その頃に極楽寺鎮護の社として建立されたものであろう。

明治維新以前は山王社と呼ばれ、今も氏子等は山王様と称している。

江戸時代以降、広原村の総鎮守の社となり、明治二十二年芳士、広原、島之内、新名爪、塩路の旧五ヵ村が合併して住吉村が成立してからは、大字広原の鎮守の社として地区民の尊崇をあつめてきた。明治二年に村社になる。

もとの鎮座地は、今の極楽寺地区の西、およそ三百メートルの所にあったが、余りにも不便な為、明治四十五年現在地に遷座された。
その為、境内にあった手力男神社も本社に合祀されて今日に至っている。末社に三野大明神(通称、寺大明神)がある。
本殿は昭和四十九年十一月、拝殿は昭和三十一年十二月、参道の階段は昭和四十年十一月に新設されたものである。




 




旧版略記


↓書き起こし

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廣原神社略記

 江戸時代までは山王権現、または山王社
と称したが、明治二年に廣原神社と改称し
た。創建年代は極楽寺の創建と同じく鎌倉
時代にこの村の鎮護の社として祀られたもの
であろう。明治四十五年六月十一日に大字
広原字宮の下(通称鳥の迫)より現在地に
遷座され今日に至っている。
 本殿は昭和四十九年十一月、拝殿は昭和
三十一年十二月、手水舎は昭和六十三年
六月に改築、参道の階段は昭和四十年十一
月に新設されたものである。

神楽 約三百年位前から春秋の社日、祭
   典日に奉納され今日も続いている

ご神幸祭 大正七、八年頃浜下りが始ま
    り、途中とだえたが昭和二十六年
    に復活し、現在三年に一度の浜下
    りがあり帰り路に羽佐間周辺で
    神楽を奉納している。

       平成十年八月 記ス

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参考:宮崎県神社誌[宮崎県神社庁編]

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